2015/03/18(水)大友良英『学校で教えてくれない音楽』

荻上チキ・Session-22の大友良英「学校で教えてくれない音楽の授業」を聞きセッションが楽しそうだったので、大友良英『学校で教えてくれない音楽』岩波新書を読みました。
学校の音楽の時間がトラウマ的に嫌いだった僕が、どういうわけか音楽を職業にするようになり、朝ドラ「あまちゃん」のヒットのおかげなのかな、これまたどういうわけか音楽の授業をやることになりました。
「どうしよう、困った。」
などと言っている場合ではありません。せっかくなら音楽が苦手な人、音痴な人でも大丈夫な授業にしよう。もしかしたら音楽嫌いだったオレならそれが出来るかもーーで、どんなことをやったのか、まずは、試行錯誤の教室にご案内します。
 ー もくじ ー
1音を出す ゲスト 大熊ワタル、上原なな江
  p22 関連動画(1/9)「音を回す」
  p23 関連動画(2/9)「チンバッソにあわせて」
2うたってみる ゲスト さや(テニスコーツ)
  p56 関連動画(3/9)「名前でうたう〈ダン〉」
関連動画(4/9)「テニスコーツと」
 補論 いい歌ってなんだろう ゲスト Phew、さや(テニスコーツ)
3学校じゃないところの音楽 ゲスト 沼田里衣、雨森信
  p129 音遊びの会:関連動画(6/9)「野球」
  p165 関連動画(5/9)「音の海」
  藤本君のトロンボーン:関連動画(7/9)「トリオ」
  p143 関連動画(8/9)「西成・子どもオーケストラ コンサート1」
  関連動画(9/9)「西成・子どもオーケストラ コンサート2」
4学校じゃないところで教わった音楽
本には授業や発表会の様子を撮影した写真が掲載されています。youtubeにその動画もアップされてたので上にリンク。
(第2章うたってみる 音痴はない p69)
さや 「音痴」っていう考え方もないです。というか、その言葉、何だかよくわからない。

ええええっ!!!! ないんですか!そんな優しいことを、うたう人が言うの。
オレもう泣きそうだけど、でもそれは、音痴で苦労したことがないから言えるんじゃないのかなあ。

さや でも、それは「自分で予測がつかない声」が出る、ってことじゃないですか。それは楽器として考えたら、すごいですよね。まるでシンセサイザーみたいな。
(第3章学校じゃないところの音楽 p163)
彼は世界の誰にも似ていないトロンボーン奏者だったんです、「ブゴオッ!ブガァッ!」って。2011年にオーケストラFUKUSHIMA!に来てくれたときも、音で「あ、藤本君だ」って分かるくらいだった。
最近、トロンボーンを誰か先生に習っているでしょう? 音階も吹いたりしていて、音がまろやかになった。逆に、すぐ藤本くんって分かる音がでなくなった。音楽を教えるのは難しいんだなと思ったのは、本人はもしかしたら、あの「ブガァッ」って個性的な音は嫌だったかもしれないし、メロディーを吹きたかったけれど、あれしかできなかっただけだとしたら、先生に習うことを止めることはできないでしょ。でも、それによって、オレが個性的だと思っていたものは、なくなっていく。ちょっと複雑な気持ちです。先生は本当に、あの世界に唯一の彼の個性をわかっているのかな。それを消していいのかな。
表現する人間にしたら「世界の誰にも似ていない」音を出せるなんて羨ましい。芸術家はそれをつくるために切磋琢磨しているのに。トロンボーンの上達が個性を伸ばす方向にならなかったのは残念だ。
(第3章学校じゃないところの音楽 p166)
子どもに「自由にやってくれ」っていうことの難しさもあるけれど、子どもにとっては「自由」っていう言葉は、あまり機能しないんじゃないか。不自由な状態にある人が、それを押しのけて自由にやるっていうことが、大人にはありますよね。会社員が毎日上司の厳しい評価を受けて自由にできないけれど、違うところに行けば自由にできる、とか。でも子どもの場合、「自由を求めている」んじゃなくて、むしろ「押し付けられること」を求めているようでもあって、オレは、それをどうしていいか分からない。
こどもは自由より「役割」「居場所」「必要とされること」を求めていると。確かにそうかもしれない。
(同上)
その意味では、西成の子どもオーケストラは、「それ以前」かもしれない。この子どもたちは、もしかしたら、大人から「こうしてほしい」とか何かを求められることが極めて少ないんじゃないか、っていう感じがするんです。「自分のことは誰もどうせ見てくれない」って感じている子が、かなりいる。ふつう、小学校に行くと、気に入られようとする子が大部分で、ふたりくらい、ちょっとひねている子がいるくらいだけど、それが逆転している。
(4学校じゃないところで教わった音楽 もう一つの竜宮城そして震災 p203)
震災の前には、自分が社会の一員である事、そしてその社会は自分たちで作っていくんだっていう意識は、希薄だったと思います。どうせ、僕らが何をやったところで何も変わらないし、それよりは自分の居心地のいい場所を探して移動して行けばいい……そんなふうに思って、実際にそう暮らしていました。音遊びの会への参加も、「社会を変えよう」みたいなことではなくて、たまたま関わることになって、関わった範囲だけは自分の納得できるようにしよう……そう思っただけです。まあ、今も基本はそんなスタンスではあるんですが、でもひとつ大きく変わったことがあります。
震災直後、「もしかしたら社会がいい方向に変えられるのかもしれない」と、一瞬ですが思いました。今でも忘れもしません。2011年の4月10日、高円寺で反原発デモに参加しました。あの時のあそこには、普段デモになんて行かないような人たちが本当に大勢、多分一万人以上の人が、いたんじゃないかな。あれだけのデモを日本では見たことがありませんでした。ところが新聞もテレビも全く報道しないし、同じ日の東京都知事選挙の結果を知って、一瞬のうちに夢が醒めました。4月10日から11日にかけてその二つの出来事を目の当たりにして、僕はその後の動きを決めました。
ひとつには、墨が何をやったところで変わらない……と思うのはやめにして、自分なりに、社会にコミットしていくことにしたんです。すぐに変わらなくても騒がないーーというか、すぐに変わるようなものなら、それは危険と思え。むしろ、大きなことをするんじゃなく、ひとつひとつ納得のいく形で自分の仕事もしていくーーそんなことを考えるようになりました。何でかといえば、こんな社会を作ってしまった責任を感じたからってことだと思います。その責任をどうとっていくかを考え始めました。
そんな宿題をもって4月11日に福島に行きました。それから数週間で、パンク・ミュージシャンの遠藤ミチロウさんや詩人の和合亮一さん、ほかにも沢山の人たちと一緒に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げました。「未来は自分たちの手でつくる」をスローガンに、ネガティブな場所となった福島を、どうポジティブな場所に変えていけるか、みなで考えて行こう……そんなテーマで始めたプロジェクトです。
そのためには福島の現状をごまかさずに伝え、そこから新しい文化を立ち上げて行くしかない、そう考えました。「祭りをつくる」というのも、その中から出て来たアイディアです。その後の活動については、様々なところで書いたり語ったりして来たので割愛しますが、放射線量が心配される会場に大風呂敷を縫って敷くプロジェクトや、楽器のできない人たちでも誰でも参加できるオーケストラの方法が生まれたり、ある意味「あまちゃん」の音楽もそこから生まれたようなところもあって、それが盆踊りにも展開しーー結局、震災後に福島でやってきた活動は、方法も考えも震災前と地続きだったんだなって思います。
子供の時に福島県に移り住んで、音楽の授業がトラウマ的嫌いになったという大友さんが、原発事故で住民にとってトラウマ的に福島がネガティブな場所になってしまわないよう、音楽でポジティブな場所に変えていこうと行動されている。素晴らしい。
(後書き p226)
僕にとっての岩波新書といえば、言語学者田中克彦の『ことばと国家』につきます。言語学の入門書として書かれたこの本が、その後の自分の考え方、とりわけ音楽を考えるときの思想のようなものの基礎になったんじゃないかなって思ってます。ここには、母語と方言の国語の問題、地方と中央の問題、ことばにとっての正しさとはとか、ピジン言語のことなんかが書かれています。
この本、面白そうです。次読んでみようと思います。

2015/02/21(土)安倍首相「日教組」ヤジ

西川農相の献金問題について民主党の玉木雄一郎氏の質問中に安倍首相が「日教組!」と何度もヤジをとばし注意されたとか。
予算委員会で質問(安倍総理のヤジ)|たまき雄一郎ブログ
動画

総理席からヤジを飛ばすのは、いつものことだったのですか。おどろき。





上のつぶやきに「北海道教職員組合の政治資金規正法違反事件」を指しているのではないかとのレスあり。
北海道教職員組合のWikipediaに、2009年の第45回衆議院議員総選挙で北海道教職員組合が「選挙対策費用」として民主党の小林千代美に1600万円を渡した件を札幌地検が「政治資金規正法第21条違反の疑いがある」とした話がありますね。

2015/02/20(金)首相同性婚「現憲法で想定されていない」

東京都渋谷区は、同性カップルに対して「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行する条例案を3月議会に提出すると2月12日に発表。15日に世田谷区も施策検討の考えを示し、18日横浜市も検討を表明。
同性カップル支援、横浜市も検討 市長が課題整理を指示:朝日新聞2015年2月18日
同性カップルでも「結婚に相当」の条例案、なぜ生まれた? きっかけつくった渋谷区議に聞く【LGBT】

安倍晋三首相は国会で「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」と発言。
首相、同性婚「現憲法で想定されぬ」 専門家には異論も:朝日新聞2015年2月18日
安倍晋三首相は18日の参院本会議で、同性婚について「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べた。専門家の間には、現行憲法は同性婚を排除していないとの見方もある。
 日本を元気にする会の松田公太氏が、同性婚を認めるには憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」との規定が問題となるかただしたのに対し、首相が答えた。
 首相は「同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」とも述べた。
 一方、法学者の中には、同性婚に憲法改正は必要ないとの見解がある。
http://www.asahi.com/articles/ASH2L5JN2H2LUTFK00G.html

2015/02/20(金)曽野綾子氏の産経コラムの経緯まとめ

産経新聞2015年2月11日の曽野綾子氏のコラムとその反響などをまとめました。
曽野綾子氏の産経コラムに抗議相次ぐ 人種別居住区に言及で |GoHoo
コラム全文を引用。
2月13日に南ア大使館とNPO法人アフリカ日本協議会が抗議文を産経新聞社に送付され、
産経新聞2月15日に曽野氏が「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」とコメント。
その後、2月17日に日本アフリカ学会の有志のグループ、国際人権NGO・反差別国際運動日本委員会がコラム撤回要請文を出す、などの経緯をまとめている。

2月17日に朝日新聞が曽野氏のコメントを掲載。
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」|朝日新聞デジタル
私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。
http://www.asahi.com/articles/ASH2J5TWDH2JUTIL04N.html

2015年2月17日「曽野綾子氏のコラムが波紋、改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード)|荻上チキ・Session-22
TBSラジオ「荻上チキ・TBSラジオ Session-22」で曽野氏は荻上チキ氏のインタビューで産経コラムの真意を説明。
曽野綾子氏へのインタビューの音声データ(mp3)
荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし |さかなの目
曽野綾子さんインタビュー “差別でなく区別です” 「荻上チキ・TBSラジオ Session-22」|NAVER まとめ
そのラジオをきいたリスナーの反応が掲載。

空のつづきはアフリカ
南アフリカで15年以上生活されいる方が曽野氏の南アのマンション話のおかしさを指摘。

(@ケープタウン)南アフリカから見た曽野綾子さんコラム:朝日新聞3月12日

2月18日に共同通信の取材に文書で回答。
曽野氏、抗議のコラム撤回せず アパルトヘイト政策は不支持 |47NEWS
曽野氏は回答の中で、コラムの見解はアパルトヘイトの擁護だと指摘されたことに対し、「私はそう書いておりません」と否定した。
 また「すべての個人が個性的魅力を持っています。アパルトヘイトなどやっていたら、そのすばらしさに出会えません」と答えた。
http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015021801001843.html
アフリカ日本協議会:産経新聞 曽野綾子さんのコラムへの抗議文
コラムへの抗議文とそれへの産経新聞社村雲広報部長と曽野綾子からの返信が掲載されている。

3月6日放送のBSフジ「プライムニュース」で南アフリカ・ペコ大使と曽野綾子氏が対談。そのtwitter上の感想まとめ。
曽野綾子さんと南アフリカ大使が一緒にテレビ出演~Mami Tanakaさんの実況ツイートを中心に - NAVER まとめ
BSフジ プライムニュース『曽野綾子氏×南ア大使 移民コラム反響と真意』 - Togetterまとめ


追記)駐日ブラジル大使も反論
Japan Times紙が2月20日にコラムの真意を曽野綾子に取材しコメントを掲載した。
Outrage grows over Sono 'apartheid' column | The Japan Times
それに対しアンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ在京ブラジル大使が右のような英字反論文Japan Times2月25日に発表。
Brazilians, Japanese and the virtues of integration | The Japan Times
曽野綾子氏に在京大使反論=日本移民は文化残して統合=駐日ブラジル大使=アンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ(Andre Correa do Lago) – ニッケイ新聞
具体例として《ペルーの首都リマなど南米の都市では、日系人専用の移住地(dedicated colonies for Japanese)がある。そこでは、日本語や日本文化が損なわれずに残っている。日本にもブラジル移民のコミュニティがあり、これらの共同体はほぼ自然に湧いて出たものだが、いずれも隔離はされていない。人々は、そこに住みたいと思うから住んでいるのであって、出るも入るも本人の自由である。私は、本人の選択による住み分けは、何ら悪いことだとは思わない》という意味の自説を話した部分がある。
 それに対しアンドレー・コヘイア・ド・ラーゴ在京ブラジル大使が右のような英字反論文をジャパンタイムス同月25日付けで発表した。今回掲載したのは、その日本語訳。

2015/01/30(金)河野多惠子さん死去

作家の河野多惠子さんが死去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
去年、文化勲章を受章した際には、「小説を書くことは自分を確認することで大事なことです。これまで書いてきたものすべてが自信作なので、読んで感じてくれたことが1つでも2つでもあったらいいと思っています」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150130/k10015080111000.html
すべてが自信作ってかっこいいコメントだなあ。
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