2016/01/28(木)青木由香『奇怪ねー台湾 不思議の国のゆるライフ』

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青木由香『奇怪ねー台湾 不思議の国のゆるライフ』を読了。
2005年に台湾で出版された『奇怪ねー 一個日本女生眼中的台湾』の日本語版。
2003年から台湾滞在の著者が、現地の特異さをイラストと写真で紹介。
ゴミ回収車は音楽を鳴らして回るとか、電子レンジを電磁波が漏れていると恐れているのに携帯電話は大好きだとか、ガイドブックにはない台湾をコラージュでユーモラスに描いている。

ここでイチオシされてる万能炊飯器、Yahoo!ショッピングで販売してるんですね。
大同電鍋
中に水を入れて使う内鍋式の炊飯器だから、蒸し器にも煮物にも使えるそう。便利だな。

台湾 ニイハオノート
上記の本と同様のコラージュブック。おすすめの小籠包の店や深夜営業のバー、夜店や商店街の歩き方など実用的な情報も掲載。お土産情報も。
台湾にいったら中華な調味料をお土産にしたいところですが、台湾の瓶は密封が甘いので漏れる可能性があるらしい。日本に持ち帰る時はポリ袋に詰めた方がいいそうだ。〆(._.)メモメモ

好好台湾 (MARBLE BOOKS)』では、一ページごとにお店を紹介する形。色鮮やかな写真が眩しい。店舗の情報が沢山収録されており三冊の中で一番実用的。

青木由香オフィシャルページによると、「你好我好」というお店を始めたそうだ。行ってみたい。
http://www.btpbtp.com/aoki_office.html

2015/03/21(土)筑摩書房の人気タイトル(kindle)半額


Amazon.jpで筑摩書房で人気の電子書籍が半額セールです。2015/3/20から3/26まで。
ネットで評判の高い本が数百円でかえるなんてお得ですね。
フーコー入門など哲学入門書も入ってます。
気になるタイトルは、名著と評判の紀田順一郎『東京の下層社会』、
名ルポと評判の生田武志『ルポ最底辺 ――不安定就労と野宿 (ちくま新書)』ですね。

いのちと放射能 (ちくま文庫)
筑摩書房 (2014-02-14)
売り上げランキング: 3,072

こちらの『いのちと放射能』は、放射能の基礎知識が一冊になっていて参考になります。

阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』も、無宗教といいつつ、無自覚に宗教的行為をしている自分に気づかされる本です。
ジークムント・フロイト『モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)』もきになります。難しくてよめなさそうですけど。

心の底をのぞいたら (ちくま文庫)
筑摩書房 (2014-04-11)
売り上げランキング: 670

なだいなだ先生の本も面白くておすすめ。特にへこんでいる時は癒されます。

2015/03/18(水)大友良英『学校で教えてくれない音楽』

荻上チキ・Session-22の大友良英「学校で教えてくれない音楽の授業」を聞きセッションが楽しそうだったので、大友良英『学校で教えてくれない音楽』岩波新書を読みました。
学校の音楽の時間がトラウマ的に嫌いだった僕が、どういうわけか音楽を職業にするようになり、朝ドラ「あまちゃん」のヒットのおかげなのかな、これまたどういうわけか音楽の授業をやることになりました。
「どうしよう、困った。」
などと言っている場合ではありません。せっかくなら音楽が苦手な人、音痴な人でも大丈夫な授業にしよう。もしかしたら音楽嫌いだったオレならそれが出来るかもーーで、どんなことをやったのか、まずは、試行錯誤の教室にご案内します。
 ー もくじ ー
1音を出す ゲスト 大熊ワタル、上原なな江
  p22 関連動画(1/9)「音を回す」
  p23 関連動画(2/9)「チンバッソにあわせて」
2うたってみる ゲスト さや(テニスコーツ)
  p56 関連動画(3/9)「名前でうたう〈ダン〉」
関連動画(4/9)「テニスコーツと」
 補論 いい歌ってなんだろう ゲスト Phew、さや(テニスコーツ)
3学校じゃないところの音楽 ゲスト 沼田里衣、雨森信
  p129 音遊びの会:関連動画(6/9)「野球」
  p165 関連動画(5/9)「音の海」
  藤本君のトロンボーン:関連動画(7/9)「トリオ」
  p143 関連動画(8/9)「西成・子どもオーケストラ コンサート1」
  関連動画(9/9)「西成・子どもオーケストラ コンサート2」
4学校じゃないところで教わった音楽
本には授業や発表会の様子を撮影した写真が掲載されています。youtubeにその動画もアップされてたので上にリンク。
(第2章うたってみる 音痴はない p69)
さや 「音痴」っていう考え方もないです。というか、その言葉、何だかよくわからない。

ええええっ!!!! ないんですか!そんな優しいことを、うたう人が言うの。
オレもう泣きそうだけど、でもそれは、音痴で苦労したことがないから言えるんじゃないのかなあ。

さや でも、それは「自分で予測がつかない声」が出る、ってことじゃないですか。それは楽器として考えたら、すごいですよね。まるでシンセサイザーみたいな。
(第3章学校じゃないところの音楽 p163)
彼は世界の誰にも似ていないトロンボーン奏者だったんです、「ブゴオッ!ブガァッ!」って。2011年にオーケストラFUKUSHIMA!に来てくれたときも、音で「あ、藤本君だ」って分かるくらいだった。
最近、トロンボーンを誰か先生に習っているでしょう? 音階も吹いたりしていて、音がまろやかになった。逆に、すぐ藤本くんって分かる音がでなくなった。音楽を教えるのは難しいんだなと思ったのは、本人はもしかしたら、あの「ブガァッ」って個性的な音は嫌だったかもしれないし、メロディーを吹きたかったけれど、あれしかできなかっただけだとしたら、先生に習うことを止めることはできないでしょ。でも、それによって、オレが個性的だと思っていたものは、なくなっていく。ちょっと複雑な気持ちです。先生は本当に、あの世界に唯一の彼の個性をわかっているのかな。それを消していいのかな。
表現する人間にしたら「世界の誰にも似ていない」音を出せるなんて羨ましい。芸術家はそれをつくるために切磋琢磨しているのに。トロンボーンの上達が個性を伸ばす方向にならなかったのは残念だ。
(第3章学校じゃないところの音楽 p166)
子どもに「自由にやってくれ」っていうことの難しさもあるけれど、子どもにとっては「自由」っていう言葉は、あまり機能しないんじゃないか。不自由な状態にある人が、それを押しのけて自由にやるっていうことが、大人にはありますよね。会社員が毎日上司の厳しい評価を受けて自由にできないけれど、違うところに行けば自由にできる、とか。でも子どもの場合、「自由を求めている」んじゃなくて、むしろ「押し付けられること」を求めているようでもあって、オレは、それをどうしていいか分からない。
こどもは自由より「役割」「居場所」「必要とされること」を求めていると。確かにそうかもしれない。
(同上)
その意味では、西成の子どもオーケストラは、「それ以前」かもしれない。この子どもたちは、もしかしたら、大人から「こうしてほしい」とか何かを求められることが極めて少ないんじゃないか、っていう感じがするんです。「自分のことは誰もどうせ見てくれない」って感じている子が、かなりいる。ふつう、小学校に行くと、気に入られようとする子が大部分で、ふたりくらい、ちょっとひねている子がいるくらいだけど、それが逆転している。
(4学校じゃないところで教わった音楽 もう一つの竜宮城そして震災 p203)
震災の前には、自分が社会の一員である事、そしてその社会は自分たちで作っていくんだっていう意識は、希薄だったと思います。どうせ、僕らが何をやったところで何も変わらないし、それよりは自分の居心地のいい場所を探して移動して行けばいい……そんなふうに思って、実際にそう暮らしていました。音遊びの会への参加も、「社会を変えよう」みたいなことではなくて、たまたま関わることになって、関わった範囲だけは自分の納得できるようにしよう……そう思っただけです。まあ、今も基本はそんなスタンスではあるんですが、でもひとつ大きく変わったことがあります。
震災直後、「もしかしたら社会がいい方向に変えられるのかもしれない」と、一瞬ですが思いました。今でも忘れもしません。2011年の4月10日、高円寺で反原発デモに参加しました。あの時のあそこには、普段デモになんて行かないような人たちが本当に大勢、多分一万人以上の人が、いたんじゃないかな。あれだけのデモを日本では見たことがありませんでした。ところが新聞もテレビも全く報道しないし、同じ日の東京都知事選挙の結果を知って、一瞬のうちに夢が醒めました。4月10日から11日にかけてその二つの出来事を目の当たりにして、僕はその後の動きを決めました。
ひとつには、墨が何をやったところで変わらない……と思うのはやめにして、自分なりに、社会にコミットしていくことにしたんです。すぐに変わらなくても騒がないーーというか、すぐに変わるようなものなら、それは危険と思え。むしろ、大きなことをするんじゃなく、ひとつひとつ納得のいく形で自分の仕事もしていくーーそんなことを考えるようになりました。何でかといえば、こんな社会を作ってしまった責任を感じたからってことだと思います。その責任をどうとっていくかを考え始めました。
そんな宿題をもって4月11日に福島に行きました。それから数週間で、パンク・ミュージシャンの遠藤ミチロウさんや詩人の和合亮一さん、ほかにも沢山の人たちと一緒に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げました。「未来は自分たちの手でつくる」をスローガンに、ネガティブな場所となった福島を、どうポジティブな場所に変えていけるか、みなで考えて行こう……そんなテーマで始めたプロジェクトです。
そのためには福島の現状をごまかさずに伝え、そこから新しい文化を立ち上げて行くしかない、そう考えました。「祭りをつくる」というのも、その中から出て来たアイディアです。その後の活動については、様々なところで書いたり語ったりして来たので割愛しますが、放射線量が心配される会場に大風呂敷を縫って敷くプロジェクトや、楽器のできない人たちでも誰でも参加できるオーケストラの方法が生まれたり、ある意味「あまちゃん」の音楽もそこから生まれたようなところもあって、それが盆踊りにも展開しーー結局、震災後に福島でやってきた活動は、方法も考えも震災前と地続きだったんだなって思います。
子供の時に福島県に移り住んで、音楽の授業がトラウマ的嫌いになったという大友さんが、原発事故で住民にとってトラウマ的に福島がネガティブな場所になってしまわないよう、音楽でポジティブな場所に変えていこうと行動されている。素晴らしい。
(後書き p226)
僕にとっての岩波新書といえば、言語学者田中克彦の『ことばと国家』につきます。言語学の入門書として書かれたこの本が、その後の自分の考え方、とりわけ音楽を考えるときの思想のようなものの基礎になったんじゃないかなって思ってます。ここには、母語と方言の国語の問題、地方と中央の問題、ことばにとっての正しさとはとか、ピジン言語のことなんかが書かれています。
この本、面白そうです。次読んでみようと思います。
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